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薩軍

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「左翼映画の作り方」
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    「左翼映画の作り方」

     

    映画人というか所謂文化人には左翼が多い。戦後の自虐史観をベー

    スに左向きに活動しているこれら文化人の表現したものは、ベース

    がそもそも紛い物である故、ないものとして斜に切って捨てること

    にした方がいいと思う。フィクションと割り切るにしては趣味が悪

    い。それはシナ朝鮮が反日侮日のために製作している映画を見れば

    一目瞭然である。
    ここでは左翼映画人の山本薩夫の代表作「あゝ野麦峠」を題材に左

    翼映画の作り方を解説したい。「あゝ野麦峠」は小学生の時、強制

    的に見させられて、その辛気くさい内容に、観賞後、友人宅に集い、

    「マカロニほうれん荘」を読んで気持ちを浄化したものである。そ

    の時、出されたコカコーラに友人がふざけて塩を一つまみ入れコー

    ラの中でパチパチ弾いたことを今でも忘れないでいるのも、その辛

    気くさい内容が一緒に記憶を引っ張っているからと思う。
    そのトラウマたるや、しばらくは映画そのものが嫌いになり、世の

    中には楽しい映画もあるんだと気づくまで、しばらく時を要した。

    TVで見た「バルジ大作戦」くらいからか。「バルジ大作戦」に端役

    で登場するオットー・スコルツェニー大尉がグランサッソの山荘に

    捕われたムッソリーニを救出する実話が、「マカロニほうれん荘」

    の中で、トシちゃん=オットー・スコルツェニー、きんどーさん=

    ムッソリーニで漫画化されたこと(コミック7巻に収録)は無理に

    書かなくてもいい話です。あらあらやーねー、じゃなくて、左翼映

    画である。左翼映画は何はともあれ反権力、スタンドバイ虐げられ

    た人々であり、権力がいかに無垢な人々を弾圧しているかを描くの

    が肝である。「野麦峠」では、オープニングで、鹿鳴館で踊る権力

    者達の贅沢奔放な生活ぶりを映し、それから貧村の生活にカメラが

    移動という、姑息な印象操作で幕が開く。主人公は男より女が望ま

    しい。そうすることで、権力=マチズムも否定でき、フェミニスト

    の集客が見込まれる。女といっても、少女から乙女(まだきんどー

    さんを引きずってますな)が主人公にふさわしい。いたぶられてい

    る姿が、観るものを一番居たたまれなくさせるのは、少女達である

    ことに異論はなかろう。大阪のパワフルなおばちゃんがいたぶられ

    ても、失笑がおこるのが関の山である。
    映画もビジネス故、集客も考えねばならない。単に人気アイドルの

    方が菅井きん主演より興行成績が見込めるからという算盤の話に過

    ぎないかもしれない。左翼のくせに金儲け、この時点で矛盾した存

    在ですな。左翼の支持団体日教組の協力で、学校で無理矢理見せる

    作戦も同時進行で行われるのは書くまでもない。
    主人公は少女。これだけでは映画は出来ない。主人公の友人役を二

    人必要とする。それはそれで意味があり、そのうちの一人は主人公

    の幼馴染みや親友役で、たいていドジなデブかブスと相場が決まっ

    ている。随分な書き方なのは承知していますとも。これは狂言回し

    の役でもあり、物語の平和な前半、ドジなブスがずっこけたり、デ

    ブがまんじゅうを喉に詰まらせたりして、笑いを誘うことになる。

    で、後半、デブは権力側の下っ端にドジであるが故、徹底的にいじ

    められ、最後は自ら命を落としたりする。「野麦峠」はまさにそう

    であった。観るものは前半でデブに笑いを与えられ、良い奴と親し

    みさえ覚えているのに、後にさんざんに虐めらる姿を見て、どんど

    んとブルーな気分にさせられる。
    もう一人は主人公とはライバル的な関係で、主人公が明るく真面目

    で正義感の強い清純派なキャラ設定であるのに対し、真逆の陰のあ

    る幸薄そうなキャラ設定となる。ものすごく古い例えなら、主人公

    はジュンコ、ライバルはモモエ、お笑いはマサコというところか。
    これもこれで意味があり、映画というのは集客のため、お色気なシー

    ンも求められる。B級映画の帝王ロジャーコーマンの「おっぱいと怪

    獣とマシンガン見せとけばいいんだ」の名言を引用するまでもない話

    で、誰それが脱いだとか初キスシーンに挑戦とかのあおり文句を見た

    事がない人はいないことでせう。
    主人公が正義感の強い真面目な清純派という役柄である以上、おいそ

    れとお色気シーンに登場さすわけにはいかない。で、汚れオッケーな

    陰のあるライバルの登場だ。野麦峠では、随分と記憶があいまいであ

    るが、工場の(権力側の)若い旦那と男女の関係になり、その後、一

    緒に心中した。二人して水面から浮き上がるシーンのエグさは子供に

    はトラウマしか与えない。お気づきのように、マサコは自殺、モモエ

    は心中と、主要キャラが死んでいくのが、それも不幸な死に方をする

    のが、左翼映画の特徴である。観る者に不快感を与えねばならないか

    ら死は避けられない。当然ジュンコも最後は死ぬ。確か苛酷な労働に

    耐えかねて重病となり、兄に連れられて故郷に戻る途中、野麦峠で死

    に、映画はなんの救いもないまま終わりを迎え、我々子供達は重々し

    い気分を何とかするために、コカコーラと「マカロニほうれん荘」を

    必要としたことは、さっき書いた。あああ野麦峠。まさに、「あゝ野

    麦峠」だ。
    実際の女工さん達は、盆正月には、家族のための沢山のお土産と共に

    帰省でき、あの時代を懐かしむ幸福な老後も迎えたことは、随分と後

    になって知った。
    左翼は、日本を貶めるためなら、いつの時代の歴史においても、嘘捏

    造をばらまき本当に信用できないので、左翼映画は基本嘘っぱちと思

    うのが賢明である。一言で左翼映画を言うならば、左翼映画に知性は

    なく、ただただ情念に訴えるだけの、映画としては随分と悪趣味なも

    のである。ゴールドじゃない免許更新時の講習とかで、観させられる、

    主人公がうっかり運転で交通事故を起こし、被害者の家族になじられ

    る短編映画と本質変わりない。理屈抜きで講習受講者に、「運転気を

    つけよう」と脳裏に刻み付けさせるように、「日本って、日本人って

    悪いんだ」とか、「戦争ダメ絶対」とかを観る者に植え付けさせるの

    が目的の映画である。それが真実であるならともあれ、悪質な嘘捏造

    である故、始末が悪い。洗脳は早いうちからということで、日教組の

    手引きにより、こういった映画は学校主催で、強制的に子供は観るは

    めになる。興行収入&洗脳教育の一石二鳥だ。左翼は資本家を目の敵

    にするわりには、商売上手だ。
    この左翼映画の法則を使って、同じように何度も映画化されているの

    が、書くまでもなく、沖縄戦が舞台の「ひめゆりの塔」ですな。
    下手人は本来、敵国である米軍であるはずだが、ここでは日本軍&日

    本兵が悪者になることが、左翼市場の鉄板である。
    もし、あなたが脚本家を目指しているならば、この法則をもとにジュ

    ンコ、モモエ、マサコの三人を主人公に習作として書いてみては如何?

    日本軍の悪行については、本多勝一の本とか、沖サヨのバイブル『鉄

    の暴風』を参考にすれば、アイディアの宝庫である。出来はともあれ、

    山田洋次あたりは志を褒めてくれると思う。
    しかし、通州事件や尼港事件、東京大焼殺などの真実は、それがおぞ

    ましいものであっても襟を正して正面から向き合うのが、現代を生き

    る我々の義務であると思うが、こういう情念に訴えかけるだけの、嘘

    八百の(フィクションと割り切るにしても悪趣味な)映画は反日左翼

    の皆様だけが、映画館に足を運んで、日本嫌いを再認識するだけにし

    てもらいたい。サヨクスプロテーションムービー!!
    いやー左翼映画って本当にいいものですね。

    サヨクナラ、サヨクナラ、左翼なら。

    | - | 20:40 | comments(0) | - | - | - |