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薩軍

Yet Another JUGEM.
●緊急転載フリー《【朝日が隠したい進優子記者の秘密】朝日新聞グループ謀略の構図:テレビ朝日・進優子記者→松原文枝(進記者の上司・テレビ朝日経済部長)→立松朗(松原部長の旦那・朝日新聞政治部長》
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    ●緊急転載フリー《【朝日が隠したい進優子記者の秘密】朝日新聞グループ謀略の構図:テレビ朝日・進優子記者→松原文枝(進記者の上司・テレビ朝日経済部長)→立松朗(松原部長の旦那・朝日新聞政治部長》


    ■1年半前、朝日新聞グループが総力をあげて
    安倍政権を倒すための大キャンペーンとして、「森友・加計」問題を仕掛けたときに、
    福田淳一財務事務次官へのハニートラップ謀略がスタートしていたようです。

    それは、報道ステーションで元通産官僚・古賀茂明が、
    【I am NOT ABE】のパネルを無断で提示して大問題になったときの
    チーフプロデューサーが松原文枝(現経済部長)で、
    松原の夫の朝日新聞政治部長・立松朗は
    「森友・加計」問題大キャンペーンの指揮をとっていた同時期に、
    テレビ朝日経済部・進優子記者は、一対一の取材(ハニートラップ)を仕掛けていて、
    あっと驚く「パジャマ取材」を敢行していたとなると、
    スパイ映画もどきの謀略そのものではないのか。

    福田淳一事務次官が「エロくないね、洋服」との発言に対して、
    進優子記者は「この前はパジャマでしたから…」との音声データが明らかになったとき、
    朝日新聞グループの背景が明らかになっていなくても、
    この部分だけで「ハニートラップ」を仕掛けていたと分かりましたが、
    今回、背景が明らかになったことから完全にアウトです。

    そもそも福田財務事務次官の発言は問題外ですが、
    その福田事務次官が進優子記者に「エロくないね、洋服」発言が
    すべてを物語っています。

    要するに進優子記者は、
    今回の4月4日の取材以外は「エロポッい服装」で応対していたのであり、
    一連の「セクハラ発言疑惑」の裏に謀略があったことの
    「動かぬ証拠」として「パジャマ姿」なのです。
    情報が錯綜しているときは、
    一般的な常識に照らし合わせて分析するとすべてが見えてきます。

    普通、女性が「パジャマ姿」で家から飛び出すときは、
    家の前で家族が交通事故かなにかで死にそうなときとか、
    暴漢に襲われ家から飛び出すとか、
    生死に係わる緊急時のとき以外あり得ないのであり、
    「パジャマ姿」で現れたのであれば、
    エロ仕掛けで「誘っている」と誤解されて当然なのであり、
    一方的に福田事務次官を責め立てているマスコミに瑕疵があるのです。

    「セクハラ発言」を問題にして、麻生財務大臣の任命責任を追及して、
    辞任を迫る枝野立憲民主党党首のダブルスタンダードが問題だ。

    まず、枝野が見本を示して党首を辞めることが必要だろう。

    それは、
    同党所属の初鹿明博衆院議員と青山雅幸衆院議員は、
    セクハラ発言ではなく実行者であり、
    現在進行形の山尾志桜里衆議院議員は、不倫略奪問題で
    倉持弁護士の元妻から「謝罪と慰謝料500万円」を要求されている最中にあり、
    枝野はどの口から麻生財務大臣の辞任を言っているのか。

    安倍政権は、朝日新聞グループの謀略を明らかにして、
    ゴールデンウィーク明けに解散総選挙を直ちに実施するべきなのです。

    それにしても、
    朝日新聞の天敵「週刊新潮」を手玉にとった進優子はたいした「魂」だよ。

    | - | 21:27 | comments(0) | - | - | - |
    〇転載フリー《「南京問題」を本気で終結したいと望んでいらっしゃる方への『文京シビックホール』講演会の一部始終》
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      〇転載フリー《「南京問題」を本気で終結したいと望んでいらっしゃる方への『文京シビックホール』講演会の一部始終》


      ■国内外で日本の行く末を本気で案じられていらっしゃる皆様方のため、
      2018年4月12日『文京シビックホール』で行った
      【完結『南京事件』日米中歴史戦に終始府を打つ】講演を収録した動画が
      アップされましたので、時間のあるときにでも視聴してください。

      ※私の体験談が、そのまま過去30年の「南京問題」の歩みになっています。

      一部保守業界の暴露話をしていますので、
      保守国民の皆様方が驚く内容かも知れませんが、いつまでも保守ビジネスに利用されている善良な国民の皆様方へ、情報提供するために「フリー動画」としてアップしました。

      尚、視聴なさって、広く知らしめる内容と納得いただけましたら
      友人知人に最低三名の方への拡散を宜しくお願い致します。

       

      ■下記URLは『文京シビックホール』行った講演会
      【完結『南京事件』日米中歴史戦に終始府を打つ】の動画です。

      ■YouTube■
      ◆https://youtu.be/KwXlsYJJlko


      ■ニコニコ動画■
      ◆http://www.nicovideo.jp/watch/1523621372

       

       

      | - | 22:16 | comments(0) | - | - | - |
      ●転載フリー《昭和天皇が重要視していた「神武天皇祭」を欠席した美智子皇后と雅子皇太子妃の不見識》
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        ●転載フリー《昭和天皇が重要視していた「神武天皇祭」を欠席した美智子皇后と雅子皇太子妃の不見識》


        ■拙著『ひと目でわかる「戦前の昭和天皇と皇室」の真実』は、
        皇室の祭祀のなにが、大事なのかを判断できる指針として、
        天皇家の年間重要祭祀を時系列に記載してあります。
        戦後、皇室の祭祀への関心が薄くなっており、
        皇室が皇室であるべき“核心”は
        皇室で執り行われている伝統を踏まえた「祭祀」との認識を
        もっていただきたく記載しました。

        そこで昭和天皇が大事に執り行っていた重要祭祀を時系列に記載し、
        現在の皇室と昭和天皇が祭祀を尊重されていた姿勢を
        重ねて見ていただけるようにしてあります。

        絶対外せない四方拝は「元旦」、
        春秋の「皇霊祭」は春秋の「お彼岸」、
        そして新嘗祭は「勤労感謝の日」となっており、
        皇室の重要祭祀がそのまま国民の祝日になっております。
        GHQ占領下に皇室の重要「祭祀」が国事から皇室の「私事」に変更させられましたが、
        国民は暗黙の了解で「皇室の重要祭祀」を国民祝日の日に指定していたのです。

        2018年3月20日、皇居内で開催された学生たちによるコンサートを、
        美智子皇后と雅子皇太子妃が揃って鑑賞され、
        翌日21日執り行われた皇室最重要祭祀のひとつ「春季皇霊祭」を
        美智子皇后と雅子皇太子妃は揃って欠席していました。

        その後、美智子皇后は、同3月27日から三日間沖縄を行啓され、
        雅子皇太子妃は例年通り3月26日から
        長野県での「スキーバカンス」に出かけられていました。

        昭和天皇が重要視していた祭祀に、4月3日の「神武天皇祭」もありました。

        そこで4月3日夕方、「神武天皇祭が執り行われたか」確認するため、
        宮内庁に問合せたところ、
        祭祀は今上陛下が執り行い、
        出席した皇族方は
        「皇太子殿下・秋篠宮殿下・秋篠宮紀子妃殿下・秋篠宮眞子内親王殿下」、
        欠席した皇族は
        「美智子皇后と雅子皇太子妃」の二方が、
        また揃って欠席したとのことでした。

        美智子皇后は4月2日、今上陛下と皇居周辺をテレビ局のカメラを帯同されて
        「お忍びの散策」をされておりました。

        また、欠席された「神武天皇祭」の翌日の4月4日、
        墨田区で開催された「子供コンサート」を
        美智子皇后と雅子皇太子妃は揃って鑑賞されておりました。
        これらの現状を仮に昭和天皇が「現認」されたとしたら、非常に悲しまれるでしょう。

        願わくば、皇霊の怒りが「天災」を巻き起こさないことを祈り、
        皆様方もお近くの神社仏閣に参拝してください。

        これら一連の美智子皇后と雅子皇太子妃の皇室重要祭祀「出欠」を
        一切報じないマスメディアと「保守言論人」は、
        皇室の伝統に対して「崇敬」の念を持ち合わせてないことが明らかです。

        | - | 21:30 | comments(0) | - | - | - |
        ●転載フリー《海軍経理学校跡地を「疑惑取得」して本社を建てた朝日新聞は森友問題を報道する資格はない》
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          ●転載フリー《海軍経理学校跡地を「疑惑取得」して本社を建てた朝日新聞は森友問題を報道する資格はない》

           

          ■朝日新聞社が国有地を取得した当時のOBが、
          1973年の新年会で朝日新聞が海軍経理学校跡地の払い下げを受けたことに関して
          「国会の野郎どもも、朝日がこわいから何もいわんし、委員会でも問題にならん…」と、
          吠えていました。
          この妄言が、朝日新聞の国有地取得に関する闇をさらけ出していたのです。

          朝日新聞は、1973年1月23日、
          経済的市場価値のない土地と交換(一部売買)する形で、
          都心有数の一等地(中央区築地:海軍経理学校跡地約4400坪)を入手し
          現本社を建てていました。

          この国有地を入手した広岡知男朝日新聞社長は、1973年1月6日、
          朝日新聞出身の集まりの旧友会で
          「…毎日、読売も発送、トラックの関係で有楽町を逃げ出した。
          わが社でも、どこかいいところはないか、便利で広い土地はないか、と探していたら、
          国立がんセンターの近くで海上保安庁(水路部)跡の四千四百坪という、
          ちょうどいい土地が見つかりましたので、譲り受けました……」
          (『週刊新潮』【朝日新聞東京本社移転に国有地の「手に入れ方」】1973年1月25日号)と、
          挨拶していました。

          そして出席していた旧友が
          「今の古い建物は、…修繕の見積りをさせたところが、
          五、六十億かかるという、とんでもない話になった。五、六十億かけるんなら、
          それだけの金で土地を探したほうがいいというんで、担当委員が作られた。
          ……街の不動産ブローカーから買うと高いので、
          大蔵省担当が国有財産課長にまともにぶつかり、脈がありそうだというんで、
          専務が大蔵大臣に直接当たってウンといわせ、(広岡)社長がアイサツに行った。
          国有地はたくさんあるが、いちばん条件のいいところが例の海軍経理学校跡、
          ……いまの本社は、NHKのように身売りはしない。
          …身売りする必要なんかない。
          …広岡社長は、貸ビルにするなんてケチなことはいわんが、
          オレのカンでいえばそうゆうことだな…」(同『週刊新潮』)と、
          内情を明らかにして「国有地の払い下げは、よく国会でも問題になるが、
          …国会の野郎どもも、朝日がこわいから何もいわんし、委員会でも問題にならん。
          …公共的機関である朝日新聞が大手を振って正面からいったんだ。
          発行部数が六百六十七万部。読売、毎日をはるかに抜いている。
          その天下の大朝日が国有地の払下げを受けても文句はないだろう。
          朝日の信用だよ。
          国会議員だって、衆参合わせりゃ、朝日新聞出身が二十数名いて、
          朝日新聞出身議員団として親睦会をやっとるくらいでね。
          そういう力も少なくなかっただろうね…」(同『週刊新潮』)と、
          いま国会で問題になっている森友問題など吹っ飛ぶくらいの大疑惑です。

          朝日新聞の専務が、大蔵大臣に直談判して、
          都心(築地)の一等地約4400坪を強奪したようなものだったのです。
          その実態を、朝日新聞が大蔵省に交換を認めさせた
          東京都杉並区下高井五丁目のコンピューター閉鎖記録「土地台帳」と「登記簿」及び、
          戦前からの当該土地調査の実態を精査して、朝日新聞の犯罪性を明らかにします。

          朝日新聞が杉並区に所有していた土地(約九千坪)は、
          最寄り駅の井の頭線「浜田山駅」から約1km徒歩15分くらいかかり、
          現在、杉並区立塚山公園になっていました。
          現地に着くまでタクシーをつかまえようにもまったく見ることもなく、
          公共交通はコミュニティバスだけの不便なところでした。

          そもそも、朝日新聞が当該土地を入手したのは、
          法務局の土地台帳によると昭和18(1943)年7月27日に
          売買によって所有権移転が行われていました。
          その地目は「山林」で戦後ずーっとそのまま経過し、
          1966(昭和41)年5月13日に「雑種地」に変更されていますが
          「原因」は記されてません。
          そして不可解なことは、唐突に翌1967(昭和42)年3月3日に
          地目が「宅地」に変更されていたのです。

          なぜ不可解かと申しますと、
          その土地は戦前から文化財保護の観点上「宅地開発」が難しい場所だったからです。

          それは、朝日新聞が当該土地を取得する前に、
          その土地から東京市初の「縄文遺跡群」が発見されていたからなのです。

          杉並区立郷土博物館【復原住居と竪穴住居址見学のしおり】の
          『下高井戸塚山遺跡』によると《神田川流域の台地上に位置しています。
          1932(昭和7)年頃から調査がされていましたが、
          江坂輝彌氏によってはじめて紹介されました。
          その後、1937(昭和12)年、
          後藤守一氏(筆者注:明治大学名誉教授・考古学)により、
          東京市(当時)内において
          初めて縄文時代の竪穴住居址群が発見されました。……》と、記載されています。

          また杉並区教育委員会掲示によると、
          塚山遺跡は「区立塚山公園敷地一帯を中心とした旧石器時代(約三万年前)から
          縄文時代中期(約三千五百年前)にかけての集落跡です」となっており、
          戦時中にも関わらず、朝日新聞が当該土地を取得したのは
          戦前文化事業に熱心だったことと符合します。

          その縄文遺跡群は、文化財保護委員会(現文化庁)が
          1965(昭和40)年に刊行した『全国遺跡地図』に記載されており、
          国が埋蔵文化財として保護の対象にしていたのです。

          当然、1950(昭和25年)に施行された『文化財保護法』の
          「第96条土地の所有者又は占有者が出土品の出土等により
          貝づか、住居跡、古墳その他遺跡と認められるものを発見したときは、
          第九十二条第一項の規定による調査に当たって発見した場合を除き、
          その現状を変更することなく、遅滞なく、
          文部科学省令の定める事項を記載した書面をもって、
          その旨を文化庁長官に届け出なければならない。」の対象遺跡群だったのです。

          実際、現地を視察すると
          朝日新聞社が北側の斜面を大きく切り開いて造成した野球場がそのまま残してあり、
          東側角の現在「ふれあい広場」になっているところにも
          野球場が造成されていたとのことです。
          実際、その野球場は、埋蔵文化財保護対象遺跡群を破壊した
          「動かぬ証拠」になっています。

          杉並法務局に問合せても、文化財保護法の対象になっていた土地が、
          なぜ地目が「山林」から唐突に「宅地」への変更が許可されたのかは、
          1967(昭和42)年当時の「申請書」が保存されてないので解らないとのことでした。

          それを解く鍵は、前述した『週刊新潮』に記されている
          朝日新聞旧友の発言にある修理に
          「五、六十億かけるんなら、それだけの金で土地を探したほうがいいというんで、
          担当委員が作られた」とあり、
          国有地払い下げ当時の朝日新聞社内体制を精査すると、
          これまでの疑問を払拭できる実態が明らかになりました。

          それは、1967(昭和42)年当時、朝日新聞社内では
          社会主義者(組合員)たちによる社内革命の真っ只中の時期だったのです。

          1964(昭和39)年1月、朝日新聞の内紛で村山長挙社長が辞任すると、
          広岡知男は同3月に東京本社編集局長に復帰し、
          元朝日新聞常務取締役で全日空相談役となっていた
          朝日新聞社顧問の美土路昌一が同年11月に社長になると
          広岡が専務取締役となって、
          労組幹部時代の仲間の森恭三論説主幹らと組んで実権を握り、
          朝日新聞の経営から大株主の村山家を排除したのです。
          広岡は1967(昭和42)年7月、社長に就任。
          そして、緒方竹虎の主筆解任以来28年間空席となっていた
          主筆職を1971年5月から兼務し、朝日新聞社史上初の社長兼主筆となっていたのです。
          これらの事実から、地目を「宅地」に変更したのは
          広岡知男が実権を握っていた時期だったことが解ります。
          その時期の政界は、歴史に名を刻むことに前のめりになり、
          日中国交正常化を推進しようとしていた田中角栄が、
          1972年7月7日に総理大臣に就任していました。
          その田中政権を大番頭として支えたのは、
          朝日新聞出身国会議員団親睦会々長だった
          橋本登美三郎自民党幹事長だったのです。
          ところが朝日新聞は、大恩があった橋本が、1982年6月、
          ロッキード事件地裁判決で有罪が確定したら、
          南京攻略戦に朝日新聞キャップとして従軍していた橋本を貶める
          「南京大虐殺キャンペーン」を、1984年4月から開始していたのです。

          前述した
          「国会議員だって、衆参合わせりゃ、朝日新聞出身が二十数名いて、
          朝日新聞出身議員団として親睦会をやっとるくらいでね。
          そういう力も少なくなかっただろうね」の親睦会々長が、
          橋本登美三郎自民党幹事長であれば怖いも無しだったのです。
          まして日中国交正常化に前のめりになっていたのは、
          田中角栄以前に朝日新聞の独裁者広岡知男その人だったのであり、
          田中角栄と広岡知男が連携したことが、
          「歴史認識」に象徴される戦後我が国の不幸の始まりなのです。

          国有地払い下げを
          「専務が大蔵大臣に直接当たってウンといわせ」たと旧友が発言していましたが、
          そのときの大蔵大臣も田中派の植木庚子郎だったのであり、
          当時の大蔵大臣の立場では「ウン」以外の選択肢などなかったことは明らかでしょう。 
          しかし、法治国家の体裁上、様々なアリバイ工作が行われていたことは、
          法務局に残されている土地台帳から類推できるのです。

          実際、朝日新聞は、都心有数の一等地だった国有財産と交換する土地が、
          経済市場価値がない山林(埋蔵縄文遺跡群)だとまずいので、
          大蔵省が官舎を建てられる土地と交換すると言い訳できるように
          地目を「宅地」に変更したのであろうが無理があります。

          また、大蔵省も少し調べれば、官舎など建てられないことは直ぐ判ったはずですので、
          ほとぼりが済むまでその土地を塩漬けにし、
          大蔵省が東京都杉並区に公園用地として所有権移転登記を行ったのは、
          登記簿によると1985(昭和60)年3月29日だったのです。
          その原因を「売買」としてますが、実態は「無償譲渡」だったのです。
          この時の大蔵大臣は、田中派の竹下登でした。
          これで朝日新聞の国有地取得疑惑問題が
          登記簿上終了したかのような体裁になっていますが、
          社会の「公器」としての「天下の大新聞社」には
          道義的・倫理的責任はそのまま残っているのです。

          日本国勢調査会の調べによると、朝日と大蔵省の取引は2筆の契約になっています。

          実際、海軍経理学校跡地の朝日新聞と大蔵省の取引の1筆は、
          中央区築地5丁目2番1号、面積3041坪(1万35㎡)は、
          1973年2月12日に「売却」として朝日新聞に所有権が移転されてますが、
          所有権移転日から10年間「買い戻し特約」が設定登記され、
          買い戻し権者は大蔵省となっていました。
          売買代金は17億271万円(坪あたり56万円)。
          当時、築地駅周辺の土地売買がなく
          「八年前に8坪売ったら千三百万円だった…」(同『週刊新潮』)とあり、
          まとまった土地なら坪200万円は下らない価値の土地が
          超破格の坪56万円だったのです。
          また朝日新聞は購入代金を「延納」したため、
          大蔵省が「29億5890万円」の抵当権を設定していました。
          もう1筆は昭和48年1月23日(登記受付日昭和48年6月11日)、
          築地5丁目2番25号、面積1408坪(4645㎡)の土地と交換した
          朝日新聞所有の通称「朝日浜田山グランド」(約9千坪・塚山遺跡群)との
          交換によって所有権が移転されていました。
          「等価交換」として評価を築地の坪単価56万円とすると、
          評価額は7億8800万円ということになります。
          朝日新聞はこの2筆つの取引で
          合計4448.4坪(1万4680㎡)の都心一等地を取得したのです。

          当時の「朝日新聞浜田山グランド」の評価額は7億8800万円ということになりますが、
          事実上杉並区に「無償譲渡」したのであり、国民の財産に対する
          「瑕疵担保責任」が生じていたことになり、国会で問題にする案件なのです。
          2017年3月に発表された築地の当該土地の地価公示価格は、坪当たり611万6000円。
          また中央区平均坪単価公示価格2197万円で計算すると、
          海軍経理学校跡地は「977億円」になり、
          現在、国会で問題になっている森友学園国有地問題の「8億円」など
          比較にならない大問題なのです。

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          ●爆弾情報転載フリー《朝日新聞築地本社の国有地払い下げは森友問題なんて可愛らしい疑惑だらけの犯罪そのものだった》
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            ●爆弾情報転載フリー《朝日新聞築地本社の国有地払い下げは森友問題なんて可愛らしい疑惑だらけの犯罪そのものだった》


            ■自民党は「肉を斬らせて骨(朝日新聞)を斬る」覚悟があるか。

            朝日新聞は2014年8月5日、慰安婦問題検証記事を掲載した同38面に
            『SAPIOに本社が抗議文』との記事を掲載していました。
            その内容は
            《4日発売の小学館の月刊誌SAPIO9月号に掲載された記事
            「発掘!朝日新聞の『韓国売春宿』に突撃ルポ」について、朝日新聞社は同日、
            記事に引用した朝日新聞朝鮮版などの内容を
            意図的に歪曲して朝日新聞社の名誉と信用を著しく傷つけたとして、
            SAPIO編集人と執筆者のジャーナリスト水間政憲氏らに抗議するとともに、
            謝罪と訂正の記事を掲載するよう求める文書を送った。
            SAPIOの記事が引用したのは………》と、
            編集長を無記名にし小生だけをフルネームで記述していたことから、
            小生に対する恫喝と受け止めました。
            (※詳細は『ひと目でわかる「慰安婦問題」の真実』参照)

            朝日新聞は、筆者の『ひと目でわかる……』シリーズで、
            戦前の朝日新聞の一次資料(写真)を使って、
            戦後の朝日新聞の記事を批判的に記述していたことに対する嫌がらせなのでしょうが、
            それ以来、朝日新聞には地獄を見てもらうことを生き甲斐にして執筆活動をすることを誓った次第です。

            朝日新聞は、いま森友学園が国有地払い下げに不正があったと
            安倍首相と麻生財務大臣を攻め立てていますが、
            手元にある『週刊新潮』(1973年1月25日号)の特集記事
            【朝日新聞東京本社移転に国有地の「手に入れ方」】と
            『新聞は死んだ驕り、偽善、エゴを衝く』(片岡正巳、日新報道、1979)を精査すると、
            国有地払い下げに対する不正は
            「ゾウ」(朝日新聞)と
            「ノミ」(森友学園)の違いがあります。

            週刊新潮の記事に広岡社長が1973年1月6日、
            朝日新聞出身者の集まりである旧友会(OB)で
            「…毎日、読売も発送、トラックの関係で有楽町を逃げ出した。
            わが社でも、どこかいいところはないか、便利で広い土地はないか、と探していたら、
            国立がんセンターの近くで海上保安庁(水路部)跡の四千四百坪という、
            ちょうどいい土地が見つかりましたので、譲り受けました……」と、挨拶していました。

            そして出席した旧友の一人は
            「今の古い建物は、…修繕の見積りをさせたところが、
            五、六十億かかるという、とんでもない話になった。
            五、六十億かけるんなら、それだけの金で土地を探したほうがいいというんで、
            担当委員が作られた。
            ……街の不動産ブローカーから買うと高いので、
            大蔵省担当が国有財産課長にまともにぶつかり、脈がありそうだというんで、
            専務が大蔵大臣に直接当たってウンといわせ、社長がアイサツに行った。
            国有地はたくさんあるが、いちばん条件のいいところが例の海軍経理学校跡、
            ……いまの本社は、NHKのように身売りはしない。…身売りする必要なんかない。
            …広岡社長は、貸ビルにするなんてケチなことはいわんが、
            オレのカンでいえばそうゆうことだな…」(筆者注:銀座マリオン)と、
            自慢話を続けて「国有地の払い下げは、よく国会でも問題になるが、
            …国会の野郎どもも、朝日がこわいから何もいわんし、委員会でも問題にならん。
            …公共的機関である朝日新聞が大手を振って正面からいったんだ。
            発行部数が六百六十七万部。読売、毎日をはるかに抜いている。
            その天下の大朝日が国有地の払下げを受けても文句はないだろう。朝日の信用だよ。
            国会議員だって、衆参合わせりゃ、朝日新聞出身が二十数名いて、
            朝日新聞出身議員団として親睦会をやっとるくらいでね。
            そういう力も少なくなかっただろうね……」と、
            いま問題になっている森友問題なんて「チンケ」な疑問なのですが、
            これを機会に朝日新聞本社の国有地払下げ問題に火をつけましょう。

            朝日新聞は、都心(築地)の一等地4400坪と
            杉並区浜田山の朝日新聞所有のグランド約9000坪を
            交換(差額を支払う)する形の好条件だったのです。
            これは「忖度」どころか「便宜供与」であり、
            調整金は10年期限の「大蔵省による買い戻し特約」との裏技で
            ローンを組んでいたのです。

            この問題が国会ではじければ、朝日新聞は消滅します。
            自民党議員よ、
            腹を括って徹底的に朝日新聞本社国有地不正取得問題を徹底追及せよ。

            ※詳細は、3月15日収録「水間条項国益最前線動画」第2部で明らかにします。
            自民党の国会議員は必見ですね。

             

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